オペラ「リタ」

作曲:ガエターノ・ドニゼッティ

2014年6月公演・演出ノート
※読み替え演出

【その1=ガスパロ=】

ガスパロは妻を殴って教育するという男だ。
リタとの結構披露宴の席で実際にそれを試した、と語っている。
しかし二人はその直後に船の事故で生き別れになってしまう。
そして彼は三度目の結婚相手にも同じ教育を施そうとしている。

ここで一つの疑問が浮かぶ。
「次が三度目」ということは、リタとの結婚は二度目だったことになる。
それでは最初の結婚相手はどうしたのか?

ここがこの作品の最大のミステリーだ。

彼はなぜ最初の奥さんを失ったのか?
そして、再婚相手のリタになぜ暴力を使った教育を試そうと思ったのか?
歪んだ行動は歪んだ精神から発せられる。
歪んだ精神は歪んだ環境・状況から生ませる。
ガスパロを歪ませたのは何だったのか…

最初の奥さんとの別れは死別なのだろうか。
当時の風習から考えて離婚は考えにくい。
いずれにせよ、二度目の結婚相手には「教育を施す必要がある」とガスパロが感じていたのは、
おそらくそれがリタの性格からではなく、一度目の結婚に起因するのだと思う。
彼はそれを突発的に行なったのではなく、ロシアで学んだと語っているし、
リタは暴力を振るわれてもガスパロのことを溺愛していたとガスパロは語っている。


【その2=リタ=】

リタは夫に暴力を使って意のままに暮らす。
リタを歪ませたのは何か?

彼女は最初の夫(ガスパロ)を新婚旅行の最中に遭難事故で失う。
何とか生還した彼女は、ガスパロの死を受け入れることができたか、できなかったか。
いずれにせよ彼女は、新居となるはずだった家で独り寂しく過ごしていた。
しかし不運は続き、彼女はその家を火事で焼失してしまう。

夫を失い、家を失い、
残ったものはほんの僅かな物(その中に、後にベッペが割ってしまう緑色の皿もあったのかもしれない)。
一人焼け野原となった新居跡に佇み、彼女は何を想う…

悲嘆に暮れたリタはベルガモに移り住み、そこでベッペと出会う。
優しいベッペは、生きる希望すら失っていたであろうリタとどのように出会い、
どんな言葉をかけたのだろう。

彼の優しさに心を打たれたリタは徐々に心を開き、過去の不幸を打ち消してベッペとの人生に新たな幸せを見出す。
冒頭二重唱でリタが表すベッペへの愛情は本物なのだと思う。
彼なしには彼女は生きられないのだ。

その愛情の狂気ぶりと比例するように、彼女の気分の移り変わりも異常だ。
緑色の皿を割った、と分かった途端に彼女は豹変し、ベッペを力の限りビンタする。
しかしすぐ後悔するが立て続けに怒りが再びこみ上げる。
これを交互に繰り返すのだ。

リタ
「何の役にも立たないクズ!…違うの、違うの、貴方は良い人よ…あぁ、何てことを…
大切な人を叩くだなんて…貴方は何て役立たず!…でも何故かとても好きなの…」

彼女は苦しんでいる。リタの心の中にある闇を想うと僕は涙してしまう。
いっそのこと、ただの意地悪で自分勝手で天真爛漫な女性だったら、
彼女はこれほど苦しむことはなかっただろうに。


【その3=ベッペ=】

ベッペは本当に心の優しい男だった。
度重なる不幸に打ちひしがれたリタという女性を心から愛し、彼女を支えて立ち直らせた。

しかし今はそのリタから、何かにつけ理由をつけられては暴力を受け、
とても平穏とは言えない生活を送っている。

この狂った生活から逃れたいと日頃から思っていたところ、千載一遇のチャンスが訪れる。
死んだと思われていた、リタの前夫(ガスパロ)が現れたのだ。

彼はガスパロとくじ引きで勝負をし、
負ける(結果的には勝ち)ことでリタを失う(自由を勝ち取る)こととなる。

そして歌われるベッペのアリアが、オペラ史上でも他にみないほどの高音連発
(最高音はなんとハイE:オペラ史上テノールのアリアに記譜された最高音と言われている)の曲。
ドニゼッティは明らかに狂った書き方をしている。

ベッペの(リタから解放された)喜びは、オペラ史上最高音を書かせるまでのものだっただろうか。
僕にはそうは思えない。
もっとドラマチックで歓喜の瞬間は他の作品の、違った場面にもたくさんある。

このアリアは、ドニゼッティがこの作品で「人間の狂気」を描こうとしたのではないかと
想起させるのに充分な曲だと僕は考える。

本来は大人しく、優しい性格のベッペの中に潜む狂気。
文字通り、彼は「狂喜乱舞」する。
彼は妻を捨てることを決意するが、結局ガスパロの暴力的脅しに屈してリタのもとに残ることとなる。
その代わり、ガスパロから「妻の教育の仕方」を伝授してもらおうとする。

優しい人間は「無責任」で「人に影響されやすい」のかもしれない。


【その4=暴力=】

作品中に目を引く「暴力」。
リタはベッペを殴り、ガスパロはリタを殴った過去について語る。
また後のシーンでベッペはガスパロに殴られ、
ベッペはガスパロからリタを殴る方法を教えてもらおうとする。

現代という時代において「殴る」という行為を単に「笑い」の材料にして良いものだろうか…。

今回、僕はこの作品で読み替え演出を行なった。

お客様には大いに笑ってもらって良い。
ただし、ラストシーンでそんな自分自身に後悔の心を僅かながら残してもらいたいと考えた。

暴力は暴力を生み、脈々と受け継がれていく。
暴力の連鎖。
人間の中に潜む凶暴性とは、まさにあの会場内に鳴り響いた
客席の笑い声の中に見出すことができるのかもしれない。
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