2008.11.30(日) モーツァルトその2
今日は昼から八王子で、あい混声合唱団のヴォイトレ。
まず30分ずつテノールとバスのパート毎に発声指導。
その後に、20分ずつ6人の個人ヴォイトレ。
若さ溢れる合唱団…個人個人の力は本当に素晴らしいです。
今日は声をそろえることよりも、一人一人の個性を引き伸ばす指導をしたつもり。
みんなが自信を持って、いい声で歌える、厚みのある合唱団になって欲しいです。
Hi-Eまで出しちゃうレッジェーロ・テノール君や、
厚みのある声のまま下から上まで均一の声で歌えるスピント系テノール君。
素晴らしい骨格で、完璧なパッサッジョ技術で歌えるバス君など。
本当にタレントが揃っている…。
今後どんな合唱団になっていくのかな?
比較的近い場所で「コシ・ファン・トゥッテ」B組通し稽古があったので、
見学に行きました。他のA組キャストさんもみんな揃っていました。
今回は実質それぞれのキャストで別々に、自由に作ってきたので、
組が違えば動きも、オペラ全体のコンセプトそのものも違う。
互いの良さを見つけながらも、
自分たちの組の芯になる部分を改めて確信できました。
同じオペラでも、その作品を通して『何』を伝えたいか?というのが違ってくる。
これがオペラの面白さです。
両日を見比べると、かなり面白いかもしれませんね。
さて、今日は昨日のつづきをお送りします。
第2回 混在
「フィガロの結婚」でモーツァルトは【結婚】の問題を未解決のまま、
むしろ混沌としたテーマを投げ掛けたまま幕を閉じてしまいました。
しかしそのテーマは投げっ放しでは終わりません。
次作「ドン・ジョヴァン二」では様々な【結婚】のスタイルが混在します。
ドン・オッターヴィオとドンナ・アンナの結婚(婚約)は家同士の古いスタイル。
ツェルリーナとマゼットの農民カップルは恋愛結婚です。
この二つのスタイルの結婚観に結び付けられたカップルたちの間に、
それらを超越した形で存在するのが…
ドン・ジョヴァン二とドンナ・エルヴィラです。
そしてラストシーンではドン・ジョヴァン二が、
自らの価値観=モラル(結婚・恋愛観)を悔い改めることなく地獄に落とされてしまいます。
名プロデューサーである父親に大切に育てられ、
「僕のお父さんは神様です」とまで語っていたモーツァルトは、
あるとき父親の望まない恋愛結婚をしようとし、父と一時絶縁状態になります。
騎士長の亡霊がモーツァルトのファザーコンプレックスの表れであるとする根拠は、
この事件によります。
しかしドン・ジョヴァン二は最後まで「No!」と叫び続けます。
恋愛(結婚)モラルの問い掛けに最後まで抗い、答えを指示すことなく死んでいくジョヴァン二。
モーツァルトは…いや、この時代の人々は明らかに迷っていました。
そして答えを見出だせないでいたのです。
その葛藤とストレスが【ロマン派文学】を生み出しました。
ドン・ジョヴァン二亡き後、残された人々は元の生活に戻っていきます。
貴族同士の家柄結婚と市民たちの当事者結婚の二つのスタイルは、
ジョヴァンニにかき回された爪痕を残したまま、何事もなかったかのように混在していきます。
そしてモーツァルトと「時代」は一つの結論を語り始めます。
それが次作「コジ・ファン・トゥッテ」〜恋人たちの学校〜です。
(明日につづく) |
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